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俺は甘党だよ

会社でバレンタインのチョコのやり取りに反対74%
株式会社マクロミルは「バレンタインデーに関する調査」を実施した。調査方法はインターネットリサーチで調査期間は2007年1月22日~23日、調査対象は20~39歳の女性会社員(公務員含む)である..........≪続きを読む≫ [アメーバニュース]


空知英秋先生には悪いけれども、ニッポンはサムライの国ではなく、アキンドの国だと思いますよ。
 
(銀さん、あんたはサムライだ!)
空知 英秋
銀魂 (1)


これだけ大規模になったバレンタイン・ディですが、やはりチョコレートという食べ物がからんでいることが決め手でしょう。
だからね、ハロウィンやイースターは今ひとつ定着しないんですよ。決め手となる商品がないから、積極的に宣伝するトコがないよね。確かにハロウィンはお菓子、イースターは卵、だけど、ハロウィンは商品を絞りきれていないし、卵というのは押しが弱いです。
逆に節分の恵方巻き、これは定着はまだまだだけど、かなり広まってきたと思うよ。やっぱり宣伝の力だね。

別にね、企業に踊らされている、バーカ! なんてことを言いたいんじゃあないんです。
だって物が売れることはよいことではないですか。イベントで盛り上がるのは面白いではないですか。
バレンタイン・ディをチョコレート1つに絞ったことはすごいことだと思いますよ。すばらしい。

もっとも恋人同士はチョコレートに限らないようですね、贈り物。
俺も「プレゼントくれるんならチョコ以外にして」とわがまま言ったことあります。
男性で「チョコがすき!」という人があまりいないからかもしれない。いや、これは憶測だけど。
それに、普段はどちらかと言えば男性が女性に贈り物する機会が多いから、年に三度、誕生日とクリスマスとバレンタインディくらいは女性から男性にプレゼント贈ったほうがバランスが取れているんではないかなあ。
とは言え、俺はバレンタイン・ディにもプレゼントをしたけれどもね。

別にプレゼントに固執するわけではないけれど、愛情という見えないものを確かめたい、というのは自然な気持ちなのでは。
そうれで失敗する例も多いけどね。シェイクスピアのリア王なんかその典型でしょう。娘の愛を言葉で確認したいがために、悲劇を招いてしまった、頑固なおじいさんです。

本来チョコレートってのはそんなに値が張るものではなかった。だけどバレンタイン・ディが行事として定着していくと、中にはエスカレートしていくこともある。
もともとは好意でしてきたことが形骸化してしまうこともある。

俺が中学生くらいまでは「義理チョコ」というのはなかったように思います。高校生くらいかな、クラスの女子全員が男子全員にチョコレートを贈るようになったのは。俺の地方に「義理チョコ」文化が入ったのは、だから1980年代です。
まあ男ってのはそれなりにプライドがあるから、もらえないよりもらえる方がやっぱり嬉しいですね。だから全員から全員へ贈ろうと呼びかけたその好意は嬉しかったですよ。
付き合っている同士じゃないから、もらいっぱなしでは悪いってんで、「ホワイト・ディ」のお返しができてきた。

もっともホワイト・ディみたいなのは俺の中学生時分からありまして、「マシュマロ・ディ」とか「クッキー・ディ」なんて呼ばれてました。まあ、学生同士だと普段からプレゼントを贈る機会もあまりないから、だろうね。
それがいつしか形骸化して、「全員から全員へ」というのが当たり前になってくる。
「女性から贈ってばかりはおかしい」という意見も出てくる。そりゃ本当におかしいですね。
そうした中で「友チョコ」というのも出てきました。
「女性ばかりが贈って」というのは、無理もないです。
なぜなら「ホワイト・ディ」はハロウィンなどと同じく、贈るものが絞り込まれていないため、大々的な宣伝がなされないからじゃあないかなあ。

ということでニッポンはやっぱり商人の国なのでした。



バレンタイン・ディがあった方がよいか、どうか
と聞かれれば、あった方がよい、、と答えますよ。
バレンタイン・ディに限らず、クリスマスも、お中元やお歳暮など各種贈り物イベントも。
どれだけ形骸化しようとも、愛情を形で表せるってのは、やっぱりすばらしいと思うんですよ。
すべての人が義理で贈り物するわけじゃないですし。
もちろん形骸化ゆえにしたくない出費をする人もいるでしょうけれどもね。
すべてかゼロか、という問題ではないですから。