君は異国へお嫁に行った
遠距離恋愛といえば。
大学を出るかでないかの頃、可愛がってもらっていた先輩が、そうでした。
太平洋を挟んだ恋。
パシフィック・ラヴ。略してパーラヴ。なんのこっちゃ。
フィアンセがアメリカ人でして、もう電話代だけでも大変なことに。
だからめったに電話をできなくて、手紙のやり取りが主でした。でもその彼氏(先輩は女性)は筆不精だったものだから、フラストレーションであっぷあっぷしてましたね。
その代わりというわけではないんでしょうが、俺はよくかわいがられました。学校を出たばかりで貧乏な俺によく食事をおごってくれました。でも毎回のろけ&愚痴を聞かされてしまうのだけれど。
まあ、姉弟みたいなもんでした。
当時の俺は芝居に夢中で、脚本家になるんだと、ろくに就職活動もせず、進学もせず、ついには就職浪人。
彼女にもずいぶん説教されました。その代わり俺の夢も真剣に聞いてくれました。社会人の先輩として。
思えば彼女も苦しかったでしょうね。婚約はしたものの、1年半はお互い離れ離れの生活だったのですから。
夜学を出て、大阪で一人暮らしをしていた彼女にとって、俺はできの悪い弟であり、フィアンセは頼れる男性だったでしょう。
というより俺は犬か。よく彼女のあとをくっついて歩いていたから。
彼女の郷土は中国地方の本当に田舎田舎したところで、フィアンセが初めて彼女の両親に挨拶しに行ったときは
「青い目をした人間はウチの敷居をまたぐな」
と言われたそうです。そりゃビックリしたでしょうね、ご両親も。
いよいよ日本を出る時、これまた大変でした。手続きやら、買い物やら、なんやかやで、半日付き合わされた覚えがあります。俺も彼女も車、持ってませんでしたから、タクシーで移動。普段はそんな贅沢、考えられないんだけど、お金よりも時間がもったいないからと、タクシー。
むこうで式挙げて、幸せな家庭を築きました。身一つでお嫁に行ったのですから、最初は心細かったのでしょう。何度か手紙が来ました。特に最初の出産のときはつわりがひどかったらしく、
・友人がいない、近辺にほとんど何もない
・みんな英語、テレビも雑誌も英語(当たり前だ)
・旦那がうどん作ってくれたけどまずい
なんて泣き言を書き連ねてました。
そんな彼女のベイビーももう社会人になってます、今では。
今でも家族仲良く暮らしているそうです。